mandom - 株式会社マンダム

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マンダムのあゆみ
「マンダムグループの歴史」

マンダムの“お役立ち精神”の歩み

代表取締役 社長執行役員 西村 元延

マンダムは、1927年12月23日の創業以来、「生活者へのお役立ち」を追求してまいりました。しかし、世界の不確実性が高まる中、私たちが社会で必要とされる企業であり続けるために、90周年という節目の2017年に、「使命」である「企業理念」を見直し、「ビジョン」を策定いたしました。
先人達が創り上げてきたマンダムの存在意義をさらに突き詰め、そして進化させ、新たに「人間系」という考え方を根幹に据えて、新しく生まれ変わらせた「企業理念」と、こころから目指したいと思える未来像として明文化した「ビジョン」のもと、人間の感性を大切にした商品やサービスをご提供し続け、社会で必要とされる企業を目指し、一丸となって取り組んでまいります。
投資家の皆さまにおかれましては、よりマンダムをご理解いただき、これからも変わらぬご支援を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。

代表取締役 社長執行役員
西村 元延

「金鶴香水株式会社」設立、そして「丹頂チック」大ヒット

フランス製香水の輸入販売から、原料のみを輸入して国産化に切り替えて誕生したのが、「金鶴香水」。この高級国産香水「金鶴香水」の商標を継承して、1927年に「金鶴香水株式会社」を設立しました。
その後、1933年に日本初の植物性チックとして、「丹頂チック」を発売。品位あるラベンダーの芳香が男女問わず市場に受け入れられ、その人気は模倣品が発売されるほどでした。その後、丹頂製品を数々発売し、「丹頂」ブランドとしての地位を確立していきました。

また、その人気は海外へも広がり、日本に来る華僑系ビジネスマンが「丹頂」チック・ポマードを自国へ持ち帰り、現地でも商品の評判が広がっていきました。そして、1958年にフィリピンにおいて、海外進出の第一歩となる技術提携会社が、スタートするに至りました。
丹頂ブランドが生活者に絶大な信頼を得たことにより、翌年の1959年に社名を「丹頂株式会社」へと変更しました。

丹頂チック
1933

一大旋風を巻き起こすこととなった「丹頂チック」を発売。幅広い愛用者に支持され、チックといえば「丹頂チック」を指すほどに。

マンダム
1970

発売して1か月足らずで、爆発的な人気となった「マンダム」シリーズ。たちまち男性化粧品市場を席捲。

社名を「丹頂株式会社」から、「株式会社マンダム」へ

1960年代に入ると、外資系メーカーや大手国内メーカーが、日本における男性化粧品市場に参入してきました。その影響により、それまでのチックやポマードといったオイル系整髪料から、アルコール系液体整髪料という新剤型へ市場がシフトしていきました。しかし、「丹頂チック」のイメージが強かったマンダムは、その時代の流れに乗ることができず、1度目の経営危機に陥りました。
しかし、その後「Mandom」を発売し、男性化粧品市場を席巻することになりました。ハリウッド・スターのチャールズ・ブロンソン氏を起用したCMは大人気となり、アゴを撫でながら「う~ん、マンダム」とつぶやくシーンと合わせて、「マンダム」の知名度を一気に高めました。
このマンダム・ブームを一時的な流行に終わらせることなく、いわば企業そのもののイメージとして定着させるため、1971年に社名を「丹頂株式会社」から「株式会社マンダム」に変更しました。

2度の経営危機を乗り越えて、基盤を築く

1978年に代理店経由販売から販売店直接取引に移行し、それに伴って、全国に営業拠点を置き、大幅に販売員を増やしました。その結果、人件費・経費が大幅に膨らんで利益を圧迫、2度目の経営危機に陥り、マンダムの歴史に深い爪痕を残すことになりました。
この2度目の経営危機により、一新した経営陣は、「二度とこのようなことがあってはいけない」「社員全員が幸せになる会社に建て直さなけばならない」という決意を新たにしました。
経営陣が一新されたことによって、平均年齢が17歳ほど若くなり、知識や経験の不足が否めない状況となりました。
そこで、社員全員の知恵や気力を結集する必要があり、生まれたのが、「全員参画経営」という考え方でした。この「全員参画経営」によりつくり上げたのが「マンダム中期経営計画」です。また、この時期にマンダム用語(※)が生まれ、経営体質改善のみならず社員の意識改革も実施しました。
(※マンダム用語 消費者と呼ぶのではなく「生活者」、売り場というのではなく「買い場」、など)

第1次中期経営計画(MP-1)発表
1982

第1次中期経営計画(MP-1)を発表し、MPプロジェクトがスタート。経営体制を一新して、マンダムの再生が本格的に始まる。

3代目「ハイファンクション」ギャツビー
1985

全面リニューアルをした3代目「ハイファンクション」ギャツビー。業界初の泡状整髪料「スタイリングフォーム」は記念すべき大ヒット商品に。

新生マンダムの成長の軌跡

経営危機後、「全員参画経営」を基本姿勢としたことで社内に一体感や信頼感が生まれ、マンダムは強いチームとなりました。それに伴い、業績は上向き始めました。
また、「生活者へのお役立ち」という考え方により、メーカー発ではなく、「生活者発・生活者着」の商品を実現することを徹底することで、マンダムはその後成長していきました。
1985年に業界初の男性用泡状整髪料「ギャツビースタイリングフォーム」を発売し、大ヒット商品になり、「泡ブーム」の火付け役となるとともに、「ギャツビー」を世に知らしめることになりました。 1989年には業界初の無香料化粧品「ルシード」を発売しました。「香料」には化粧品の原料臭をマスキングする効果があるため、化粧品には香料が入っているのが常識となっていた中で、無香料化粧品は画期的な商品でした。「ルシード」は整髪料に「香り」を必要としない生活者に受け入れられ、その後女性向けの「ルシード エル」の発売につながりました。

さらなる幅広い生活者へのお役立ち実現に向けて

1987年、インドネシアにおいて、女性コスメティック商品の第一弾として、「ピクシーモイスチャーリップスティック」を発売。現在、「ピクシー」はファンデーションやメイクアップ商品などをラインアップし、トータル女性コスメティックブランドとして成長しています。
また、日本国内においては男性化粧品のイメージが強いマンダムですが、女性生活者へのお役立ち実現に向けて、2005年に、自社開発第1号として、女性向け高機能クリーム「パーフェクトアシスト24」を発売しました。
その後2007年には、ふき取りタイプの水ベースのクレンジングローション「クレンジングエクスプレス」を発売。クレンジングエクスプレスは、2011年に「ビフェスタ」ブランドとしてリニューアルし、日本だけでなく、海外でも販売されています。
このように、日本国内だけでなく、海外においても、男性生活者だけでなく、女性生活者にもお役立ちを実現しています。

ビフェスタうる落ち水クレンジングシリーズ
2011

「ビフェスタうる落ち水クレンジングシリーズ」発売。「水クレンジング」という剤型が支持され、新たな市場創造に貢献。

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